SFX BROS.STUDIOS
トップページ お知らせ スタジオ情報 制作実績 アーカイブス 麻布十番フォトマップ リンク お問い合わせ
SFXBROS.STUSIOS > アーカイブス > Symbolicsの歴史
 
SGIの歴史
SymbolicsとCGの歴史
back stage1
back stage2

 

(前回第二話のあらまし)MITのジョン・マッカーシーによって始められた『人工知能』の研究・開発はやがて実を結びLispを誕生させ、Symbolics Inc.を設立に至る。数年の後には”Symbolics 3600ファミリ”を完成させAIの研究の分野で成功を収めた。

 

 

第三話 熟成

 米国Symbolics社は、1982年ウォルト・ディズニーによって製作されたCGを使った初めての劇場公開映画『トロン』のスタッフを迎かえ入れて、Symbolics Graphics Divisionを結成した。

 映画制作の最中何度もコンピュータの限界を実感した彼等は、新たなCGのためのハードウエアとソフトウエアの開発に尽力をそそぐことになる。『使う側に立って、開発する』まさに、彼等自身がアニメータであるからこそ実現できる理想像がそこにはあった。

 1年後の1983年、遂に彼等が納得して世の中に出すコンピュータ・グラフィックス・ソフトウエア『S-Product』が日の目を見ることとなった。一方日本では繊維系商社であるニチメンのある人間が、このシステムに注目していた。

 『S-Product』は、AIの研究から生まれた『オブジェクト指向』という明確なコンセプトをもとに開発され、実に高度なマン・マシン・インターフェース(GUI・Graphical User Interface)を実現した。

 例えばオブジェクトのある面を選択すると、その面に適用できる命令のみがポップアップされるといったインターフェースが自慢だった。


●S-Product

 ハードウエア面ではこの年、スイスのモントルーで、『エルゴノミクス・デザイン・シンポジウム』(人間工学に基づいたデザインのシンポジウム)が発足し、電化製品やコンピュータによる人体に与える悪影響等が注目され始めていた。

 Symbolics社は、驚くことに当時からこの点を考慮し、キーボードやコンソールのデザインに加味していた。製造物責任の概念がまだ発達していなかった当時、そのデザインもコンピュータ・ユーザーの憧れの対象であった。


映画「ブレードランナー」。ヒット曲「セカンド・ラブ/中森明菜」。東京ディズニーランド開園。


 1984年には、京都大学に国内初のSymbolics 3600システムが納入され、日本国内の人工知能研究に拍車がかかった。

ヒット曲「もしも明日が・・・/わらべ」。エリマキトカゲが流行。


 そして、1985年7月にはニチメン、東洋情報システム、Symbolics Inc.の3社合弁で『日本シンボリックス株式会社』が設立された。AIの研究開発用での出荷が中心だった。

任天堂、初代ファミコン大ブーム。

 1985年ころのCG製品はそのほとんどが放送機器メーカーによるもので、クォンテル社のペイントボックス、同社の3DキャラクタジェネレータのMirage 3D、ボッシュ社のFGS-4000"3D-Illustrator Animation"(これはCPUに当時最新のモトローラ68000を使用していた)、また2Dペイントアニメーションでは、オーロラ社のAU-220シリーズやフェアライト社のCVI 2D GRAPHICSなどがあった。

 Symbolicsは、この年3600ファミリの最終版である”Symbolics 3650”をリリースした。

 グラフィックス仕様の3650には、NTSC-VIDEOの入出力を装備し放送業界を震感させた。

 『シンボリックス黄金時代』の到来である。

 世界中で爆発的にヒットしたSymbolicsは、次第に『コンピュータ・グラフィックス専用機』としての立場を確立する。

 当時騒がれていた”Hi-Vision”にも早い時期から対応し放送・映像業界に浸透していった。


 1986年 日本では人工知能展なる展示会も東京流通センターで開催され日本シンボリックスも出展した。

メンズノンノ創刊。若者が新人類と呼ばれる。

 世界各国で順調に販売されていく裏で、開発チームは高速で高品位なグラフィック・ツールとしてのSymbolicsの開発を急いでいた。

※各名称は各社の登録商標です。

第四話『栄華』へつづく・・・

| top | topics | outline | experience | archives | azabujuban | links | contact |
  We are Visual Creative Production company in Tokyo , Japan

home

 

10周年