(前号までのあらまし)コンピュータが誕生してからおよそ10年で、人工知能研究の現場からLISPが誕生。時期を同じくしてコンピュータ・グラフィックスが、急速な成長を遂げていた。激動の時代の幕開けである。
第二話 3DCG誕生
1960年代、この頃のマンマシンインターフェースの主流は、スケッチパッドといったペンでディスプレイに直接線画を入力するというものだった。しかし、当時はいわゆるベクトルスキャン型(陰極線管CRT)であったためワイヤーフレームで構成される2Dまたは3Dの静止画像に限られていた。
この様なグラフィックス装置をつかってコンピュータによる描画が盛んに行なわれていく。
大学、研究所といった研究機関以外では航空会社が航空機の設計にCADを開発し利用されていくようになっていく。
NHK総合テレビがようやく全国放送をはじめた頃だ。
米国ボーイング社は当時、新作機である737の設計を3次元CADを使って行なった。
そんな中でMITのモーゼスは、記号処理技術によって数学問題を解くプロセスを記述した大規模数式処理システム”MACSYMA(マクシマ)”を開発する。
このシステムは計算機が蓄積された知識をもとに従来の専門家が行っていた高度な判断を行うことができることから、『エキスパート・システム』と名付けられた。
この当時からメタモルフォーゼ手法をつかったコンピュータによるアニメーションの中割が当たり前になり、単なるグラフィックからアニメーションという挑戦が続いていくことになる。
これは現在の最先端のコンピュータグラフィックス・アニメーションの基礎ともなっている。
アーティストとしてCGアニメーションを作ったのは、1960年後半にかけてに活躍したJ.ホイットニーやS.ヴァンダビークや、当時この分野の研究に積極的だったベル電話研究所の研究員がいた。
彼等の手によってCGは、科学者寄りの物からよりアーティスティックな物へと変化していく。
CG先進国の米国では、MITにいたサザーランドが、ユタ大学に移ってコンピュータ・グラフィックスの開発を行った。
彼等の課題として、『当時ワイヤーでしか表現できなかった3次元モデルをハーフトーンを使った面表現ができ、なおかつそれらをアニメーション化するソフトウエアも開発したい。』というものだった。
この後もサザーランドはその方面で開発を続け、現在では「Evans & Sutherland(エヴァンス・アンド・サザーランド)社」として存在することは広く知られている事実である。
このプロジェクトによってLispを高速に処理しかつ、記号処理技術の開発に最適なソフトウエア環境を持つ計算機である『Lisp Machine/リスプ・マシン』が誕生したのである。それが「LMI(エルエムアイ)」である。
この映画のグラフィックスを担当したスタッフとSymbolics Inc.は、のちに切っても切れない関係になる。
そんな中、Symbolics社はまったく新しいハードウエア・アーキテクチャとマイクロコード技術を採用した36ビット・ワークステーション”Symbolics 3600ファミリ”を完成させた。
第三話『熟成』へつづく・・・