SGI World 寄稿 1999年8月号に掲載
「IRIS 1400」1984年11月、SGIは初めての自社開発のワークステーションをリリースした。一方市場ではアップルコンピュータがMacintoshをリリースするなど個人向けパーソナルコンピュータが次々とリリースされコンピュータ業界は混沌とした状況になりつつあった。
力を増していくSGI
IRIS 1400をリリースしたこの年5月、ジム・クラークの後に社長に就任することになるエド・マクラッケンがSGIに合流している。
年が変わり1985年の1月、IRIS 1400の後継となる「IRIS 2000」がリリースされる。IRIS 2000もモトローラ製のCPUを搭載し、OSにはバークレー系のUNIX、BSDが採用された。
翌1986年にリリースされた「IRIS 3000」まで同様のシステム構成で出荷された。この年くらいから世界各地に次々と営業所が設けられ、出荷台数を伸ばしていく事になる。
この頃、日本では2人の人物を中心としてSGI日本法人の設立に向けて動き始めていた。(本稿執筆当時)現取締役/SGIシニアバイス・プレジデントの関本晃靖氏と(本稿執筆当時)現取締役会長である荒川康久氏である。関本氏は株式会社理経に従事、一方荒川氏は日本プライムコンピュータ株式会社(現日本コンピュータビジョン株式会社)に従事してきた人物である。
一方米国本社では、業界では初めてMIPSのCPUを搭載した「IRIS4D」の完成が間近に控えていた。現在のSGIのワークステーションの原形とも言えるこのマシンは、筐体に赤紫を配して後に訪れる「色の時代」を予感させるものとなった。この年、早くもSGIはNASDAQに上場している。
日本シリコングラフィックス株式会社誕生
1987年、遂にこの年SGIの日本法人である日本シリコングラフィックス株式会社が誕生し、創業当初は東京/五反田にオフィスを構えた。当時を思い出して荒川会長は「当初はあの五反田のオフィスは机もなく、関本氏と共に床に電話を置いて応対したものだ。」と語る。現在400名を超える従業員を従える企業となっているが、創業当初は非常に質素でそして静かな滑り出しだったのである。また、当時しばしば来日したジム・クラークについて「ある夜に繁華街から呼び出しの電話があって行ってみると、ジムがかなりお酒を飲んでいて聞いてみると所持金を700円しか持っておらず仕方なくホテルまでタクシーで送っていった。」事もあったという。
そしてこの年の5月、ついに初めてのRISCチップ「MIPS R2000(8MHz)」を搭載したワークステーションである「IRIS4D/60」が発表された。スーパーグラフィックス・ワークステーションと名付けられたこのマシンのグラフィックスは、Geometry Engineを搭載し当時では最強のグラフィックスと謳われた。
SGIの開発コードネーム
IRIS4Dのグラフィックス・システムは「Clover」という開発コードネームで呼ばれていたが、SGIのコードネームには興味深い(?)ものが多い。よく知られているものではIndyの「Guiness」やO2の「MooseHead」など開発担当者が愛飲しているビールの銘柄である。エンジニアリング・マネージャのルエール・ナッシュ氏は「同僚のChris Wagnerに「今、何か思い浮かべてくれよ」と言われて思い浮かんだのが何故か、ゴーストバスターズ(映画)に出てくるマシュマロマンだったので「The Stapuft Marshmallow Man」と答えたんだ。」と語るが、後に出てくるVGXグラフィックスの開発コードは「Stapuft」である。他にもOnyx/Challengeのラックマウント・システムの開発コードが「Predator」や「Terminator」なんて言うものもあった。私がたいへん気に入っているのは、R4400のデスクサイド・サーバの開発コード「Jasper」である。
話が横道にそれたが翌年1988年、コンピュータ・グラフィックスをより身近にする歴史的な製品「Personal IRIS」と「POWER Series」が発表されることとなる。
その頃・・・
第3回 1988〜1992年へ続く・・・