1981年の話である。当時米スタンフォード大学で、ジム・クラークは彼以外に5名のエキスパートを従え、また彼らに支えられていた。ラボの卒業生であるマーク・ハナ、数学者のトム・デビス、(ノートブックを持つ静かな)ロッキー・ローズ(彼は喉に障害を持っていたことからそれを筆談に使っていた)、エンジニアであるマーク・グロスマン、後にOpenGLの元となったグラフィックス・ライブラリ(GL)の中心的作者カート・エークリである。
ジム・クラークは「ジオメトリエンジン」プロセッサを考案して特許を取得し、それをコンピュータメーカーに売り込もうとしていた。そのため日々シリコンバレーを歩き回りDECやIBMなどを訪れたという。しかし、ジオメトリエンジンに対して興味を持つ企業は中々現われず、唯一ヒューレット・パッカード(HP)が興味を示したものの、この技術のライセンス価格面(当時の金額で$50,000-しか提示されなかったという)で折り合いがつかなかった。
次第に6名はジム・クラークを中心として、自分達の力で独自のグラフィックスターミナルを開発する方向へ進んでいく。 |